ぼくがうまれた音
ぼくがうまれた音
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世界的に活躍したジャズ・トランペット奏者の近藤等則(こんどう としのり)。彼が幼少期から耳にして育った故郷の音の世界が、言葉で紡ぎ出されています。そして、絵を担当したのは洋画家の智内兄助(ちない きょうすけ)。智内は、和紙にアクリル絵の具を用いた独自の画法を確立し、日本画と洋画の境界を越えた革新的な表現で知られています。智内のダイナミックで芸術的な絵が、近藤の音の言葉に彩りを添え、子どもたちの心に響く音と絵の華麗な競演を繰り広げています。
お母さんのお腹の中で聞こえる心臓の音や、外の世界で響く日常の音、そして赤ちゃんが生まれて初めてあげる産声まで、一つ一つの音が命の誕生という奇跡を紡ぎ出します。音を通じて生命の温かさや、親になる喜び、そして新しい家族が生まれる感動を体験することができます。
[タイトル] ぼくがうまれた音
[出版元] 福音館書店
[出版年月日] 2007年3月
[ページ数] 28頁
[大きさ] 約29.3×30.7×0.8cm
[フォーマット] ハードカバー
[タイトルよみ] ボクガウマレタオト
[著者・編者等] 近藤等則/文、智内兄助/絵
[ISBN] 978-4-8340-2260-5
[状態] 中古 並(天少シミ):Used Good
[付属品] カバー
[掲載本]
[関連展覧会]
近藤等則(こんどう としのり)
1948年、愛媛県今治市波止浜町に生まれる。中学のブラスバンド部でトランペットを吹き始め、部員の智内兄助氏とは今治西高等学校卒業までの同窓生だった。京都大学在学中よりプロとしてのライブ活動を始動する。
1972年、大学卒業とともにフリー・ジャズ・ミュージシャンを目指して上京。1978年には渡米し、ニューヨークのローアーイーストサイドに住み、多数のミュージシャンとの演奏やツアーを始める。1983年、長男が生まれた年には、世界各地で年間121回のライブを記録し、海外で高い評価を得た。
1984年、東京に戻り、日本人ミュージシャンとIMAバンドを結成。「International Music Activity(国際音楽活動)」として東京から世界へ発信する活動を開始した。毎年IMAバンドと世界をツアーしつつ、テレビ・映画音楽、テレビ・映画・CM出演、本の出版など、多岐にわたる活動を展開する。
1993年、IMAバンドを解散し、オランダ・アムステルダムに新しい音楽拠点を設ける。同年、イスラエルのネゲブ砂漠での演奏を皮切りに「地球を吹く」シリーズをスタート。ペルー・アンデス山脈、ヒマラヤ・ラダック、アラスカ・マッキンレー、沖縄・久高島、三重県・鵜野...と、地球の大自然の中でエレクトリックトランペットを即興演奏する旅を続ける。2001年には「ダライ・ラマ14世の招聘」により、平和と環境をテーマにした「国際平和音楽祭・広島2001」を宮島・厳島神社でプロデュースした。2005年、広島・長崎原爆投下60周年を迎え、黒田征太郎氏、荒木経惟氏、安藤忠雄氏らとともに「PIKADON project」をスタートさせた。
智内兄助(ちない きょうすけ)
1948年、愛媛県越智郡波方町波方(現・今治市)に6人兄弟の末っ子として生まれる。
就学前から絵本を読み眺めることや、絵を描くのが大好きな子どもだった。北郷中学の美術部に入部して油絵を描きたかったが、部員が全員女子生徒だったため諦める。当時、近藤等則氏が生徒会長に選ばれ朝礼で号令をかけたりするのを眩しく思い、浜辺で一人トランペットの練習をしていた近藤氏を目撃し、「青春完全燃焼」を羨ましく思った。今治西高等学校の美術部に入部し、画家を目指す。
東京藝術大学在学中より「シェル美術賞展」佳作賞(1971年)などを受賞し、そのコンクールテーマ「現代における日本美の現代的表現」が自身の絵の大きなテーマとなる。大学院修了前後の数年間、「絵の壁」にぶち当たり制作を中断。ヨーロッパ古美術研修旅行やチベットに数回取材旅行をする。その旅で再び「日本美」の水準の高さを再確認し、「仏画」の品格を手本として制作を再開した。仏教の源流を求めて、ブータン王国にも赴いている。
これまでに、「日仏現代美術展」フィガロ1席、2席、特別賞、ビブリオテック・デ・ザール賞2席(1978年~81年)、「東京セントラル美術館油絵大賞展」佳作賞(1987年)、「デッサン大賞展」大賞(1985年)、「第1回リキテックス・ビエンナーレ」リキテックス賞(1986年)、「安井賞展」特別賞(1987年)、「日本青年画家展」優秀賞(1988年)、「安井賞展」佳作賞(1990年)など、様々な絵画賞を受賞。また、東京、ニューヨークなど国内外で多数の個展を開催し、高い評価を得ている。1992年3月~93年4月にかけて、宮尾登美子作「蔵」(毎日新聞)連載の挿絵を担当した。









