殺風景
殺風景
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写真家・編集者として活動した浜田蜂朗(1941–1996)の没後、親交のあった写真家や編集者たちによって編纂された写真集『殺風景』。森山大道を中心に編集作業が進められ、1997年に浜田蜂朗写真集刊行会から刊行された。
浜田は1960年代末、雑誌『現代の眼』の編集部で中平卓馬や森山大道らと出会い、写真による表現を始めた。1970年代には石内都、矢田卓、神林立子、山崎博らとともに、連続写真展「写真展・写真効果」を開催。尾行、都市の風景、不快な事物、記憶などを主題とする作品を発表し、写真展の記録と批評を掲載した『写真効果magazine』の編集にも携わった。
本書には、浜田が生涯にわたって撮影した写真から選ばれた作品を収録。廃墟や取り壊された建物、コンクリートの壁、崖、テトラポッド、都市の周縁にある風景など、身近な場所に潜む異質な光景を捉えている。人工物と自然が入り混じる風景を通して、日常のなかにある不穏さや、物質の表面に刻まれた時間を浮かび上がらせる。
巻末には草森紳一による「光が走っていない」を収録。浜田が1961年、1986年、1991年、1996年に書き残した日記を手がかりに、写真への思索や撮影の記憶、写真家としての葛藤をたどっている。また、朝倉喬司による略年譜、森山大道による編集後記も掲載されている。
本書の刊行は、浜田の死後に友人たちが計画した追悼写真展をきっかけとしている。朝倉喬司、石塚恵子、草森紳一、西井一夫、末井昭、森山大道らが刊行メンバーとなり、多くの賛同者から寄せられた基金をもとに制作された。編集にあたっては丹野清和、神林豊、大田通貴、尾仲浩二らも協力している。
1970年代から1990年代にかけての日本の写真表現を、独自の視線で追い続けた浜田蜂朗の作品と、その活動の軌跡を伝える写真集。
[出版元] 浜田蜂朗写真集刊行会
[出版年月日] 1997年12月1日(初版)
[ページ数] 頁付きなし
[大きさ] 約260*241*17mm / 695g
[フォーマット] ハードカバー
[言語] 日本語
[タイトルよみ] さっぷうけい
[著者・編者等] 浜田蜂朗/写真、浜田蜂朗写真集刊行会/編、森山大道/編集・後記、草森紳一/文、朝倉喬司/略年譜
[印刷・製本] 凸版印刷株式会社/印刷・製本
[ISBN] -
[状態] 中古【6】並上~並(三方少シミ、見返しから少シミ)
[付属品] 筒函
[掲載本] -
[関連展覧会] 写真展「写真展・写真効果」(1970年代)、浜田蜂朗個展「殺風景」(小西六ギャラリー)
浜田蜂朗(はまだ はちろう)1941–1996
1941年、和歌山県田辺市生まれ。本名・八郎。写真家、編集者。
1960年代末、反体制的な論調で知られた雑誌『現代の眼』(現代評論社)の編集部に勤務。編集の仕事を通じて中平卓馬、森山大道らと知り合い、自らも写真による表現を始める。
1970年代には雑誌『デザイン批評』(風土社)の編集長を務める一方、矢田卓、石内都、神林立子、山崎博らとともに、連続写真展「写真展・写真効果」を開催。東京のシミズ画廊などを会場に5回にわたって作品を発表した。
同展では「尾行写真」「私の気に喰わない事物・私の気に喰わない人間」「豪華限定一部という名の写真集」「ヨコスカ案内写真」「追憶写真」などの作品群を発表。また、展覧会に関連する『写真効果magazine』の編集に携わり、写真表現についての文章も執筆した。
1970年代末から1980年代初頭にかけて、「眼球譚」(コダックギャラリー)、「殺風景」(小西六ギャラリー)、「都市症候群」(銀座ナガセフォトサロン)などの個展を開催。
1980年代半ばには、白夜書房の季刊誌『写真時代21』の編集長を務め、月刊『写真時代』にも写真作品を発表した。また、『朝日ジャーナル』『BRUTUS』などで写真の仕事を手がけた。
晩年は鎌倉を拠点に、都市の周縁や海岸、建造物、人工物などを撮影。1996年12月3日、肝硬変により逝去した。
没後の1997年、森山大道ら友人・知人による編集と、賛同者からの基金によって写真集『殺風景』が刊行された。
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